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 「大丈夫か?スンイク。酷いケガだ…」

「触るなっ!お前がつけた傷だろうがっ!」

 理性を取り戻したくまを君…いやヤムスンは、碧の傷を診ようとするが、
当の碧は完全にそれを拒んでいる。

「ならばせめて、手当をさせてくれ。
 ワシがつけた傷だ。責任を持って…」

「触るなと言っているだろっ!」

 尚も抵抗する碧。
ヤムスンの差し出した手を、負傷していない左腕で払いのける。

「スンイク…」

「今更優しくなりやがって…
 お前は今まで俺たちを置き去りにしてきた!
 本当に居て欲しい時には決まって家をあけて、俺たちのことをずっと放ったらかしてきた!
 そんな奴に今更心配されても、迷惑なんだよっ!」

 ヤムスンをキッと睨み、声を荒げて怒鳴り散らす碧。
それは私には、父に長年自分の伝えたかったものを、一気に吐き出しているように見えた。
父に訴えたかった怒りを、不満を、そして、悲しみを…。

「…スンイク。
 確かにワシはずっと長い間、お前たちの傍へは居てやれなかった。
 世界中の異変を正すために生きてきたが、そのせいで一つの家族を不幸にしてしまった…。
 ワシは…父親失格だな…」

 我が子に拒絶され、やはりショックなのか、
ヤムスンは力ない声をヤムスンに向けた。

「…確かに最初は本当に多忙で家には戻れなかった。
 だがいつからか、仕事を理由に、ワシは、お前たちから逃げていたのかもしれん。
 …こわかったのだ。
 長いこと家をあけたことで、お前たちがワシを迎えてくれるかどうかが。
 こわかったのだ。
 妻が、お前の母が死んだことで、変わり果ててしまった家族と再会するのが。
 会わす顔が…なかったのだ。
 ワシのせいで…家族が崩壊してしまったという事実を…認めたく…なかった」

 遂には涙を流し、息子の前で懺悔をするヤムスン。
力ない声はますます力を失い、もう聞きとるのが困難なほどだ。
だがそれでも尚、ヤムスンは息子に詫び続けていた。


 やがてヤムスンの声が聞きとれなくなり、辺りには沈黙が広がっていた。
その沈黙を破ったのは、私の一言だった。

「ヤムスンさん。罪の懺悔はもうそのくらいでいいでしょう
 碧も、もういいじゃないか。いい加減父のことを許してやれ。」

「!…レグ」

「確かにもう失ったものは戻らないかもしれない。
 しかし、やり直すことは出来るはずだ。
 生きている限り、何度でも。
 碧、ヤムスンさんともう一度家族に戻るんだ。
 母親はもう居ないかもしれんが、現にお前たちは生きている。
 生きている限り、遅すぎるってことは、ないだろう?」

「……」

 碧からは返事はなかった。
だが、口ごたえしてこないところをみると、碧も少しは父のことを赦したのかもしれない。

「よし!たった今、二人は家族に戻った。文句はないな、碧?」

「……ちっ!好きにしろ!」

 ようやく碧が口を開いた。
相変わらずなようだが、それでも前までの憎しみのこもった顔はなく、
やや表情は柔らかくなっているようにも見える。
すぐにとはいかなくとも、きっといつか父とも和解できるだろう。

「さて、と…では私は先に帰るとしよう。親子水入らずとも言うしな。
 ヤムスンさん、碧のことは任せてもいいですね?」

「…あぁ。レグルス…ありがとう。お前には、感謝するよ」

 ヤムスンはコチラを見て、微笑んだように思った。
熊の顔では、笑っているのかどうかは判りにくいが…。

 こうして私は、きっと帰りを待っているブレイヴのところへ、早く帰ることにした。
私も、自分の家族のことを、もっと大切にしなければいけないと、
あの二人を見てそう思ったのかもしれない。

 きっと彼らはこれから、失った時間を取り戻していくことだろう。
私はそう思っていた。
 しかし……。

…………
……


「さぁこれでいくらか動けるだろう。動けるか。スンイク?」

「…ヘタクソな手当てだな、こんなので動けるか、クソ親父」

 ヤムスンに傷の手当てをしてもらった碧は、相変わらずの悪態を見せる。
だがそれでも彼はヤムスンのことを、確かに親父と呼んでいた。

「ならば宿まで背負ってやろう」

 そう言うや否や、ヤムスンは碧を担ごうとするも…

「いい!…肩貸す程度で十分だ」

 と碧がそう言ったので、ヤムスンは左肩を貸すことにした。
そして二人は、帰りの宿まで向かっていたのだが…。

ドンッ!

 突然何かにぶつかったかのように、歩いていたヤムスンの身体が止まった。
持たれていた碧にも衝撃が伝わる。

「…どうしたんだ親…じ……?」

 見るとヤムスンの懐に小さな影が入り込んでいた。

「…ぐうっ…ぅ!」

 するとヤムスンの口から赤い液体が流れ出していた。

なんとその影は手にしていた鋭い爪で、ヤムスンの腹を刺し貫いていたのだ。

『ふん。獣化して無敵の身体になったといっても、所詮この程度、か。
 全然大したことないじゃない』

「…!その…声は!」

 碧にはその影の正体が何者なのかが分かった。
かつて寒空の下で戦ったことのある仮面の少女、マリーナだ。

『あら、お久しぶりね、くたばり損ないさん。
 アンタ、この化け物に殺されなかったのね?
 それどころか助けられちゃうだなんて、なんて無様なのかしら?』

そう言い、冷たい笑いを浮かべるマリーナ。

「き…貴様ぁぁぁぁぁぁぁっ…!」

 その瞬間、碧の怒りは爆発した。
すぐさまヤムスンに捕まっていた左腕を離し、武器を手に取ったかと思うと、
信じられない早さでマリーナを斬りつけた!

『ちっ!』

 碧の攻撃にとっさに反応し、後ろへ下がるマリーナ。
しかし…。

ピシッ…!

 被っていた仮面に碧の攻撃が辺り、斜めに真っ二つに割れた。
更にその一撃はマリーナの肌にも伝わり、
彼女の右頬に小さな切り傷が付いた。

『……!わ、私の仮面が…』

 大きく動揺を見せるマリーナ、しかし、徐々にその顔は怒りに満ちていく。

『よくも…よくも私の顔と仮面に傷をつけてくれたわね…!
 許さない…!アンタだけは絶対に許さない!』

「許せないからなんだっていうんだ?この場で俺を殺すっていうのか?」

『いいえ!アンタは絶対に楽には死なせない!
 じわじわといたぶって…自ら死を懇願するまで、ゆっくりと殺してやるわ!
 …覚えておきなさい!』

 そう言い放ち、マリーナはその場を立ち去った。

「う…ぐ…」

「!親父!…おい大丈夫かっ!」

「…こ、こいつは。天罰なんだろうな…。
 お前や、お前の母さんを放っておいた天罰が…下ったんだ…」

「もう喋るな!貴様のそんな弱々しい声なんか、聞きたくない!」

 しかし、見る見るうちにヤムスンの顔から血の気が引いていた。
そして…。

「スンイ…ク。
 いままで…父親らし…いこと…を、してやれんで……、
 す…すまな…………かっ…」

 それ以上ヤムスンが言葉を発することはなかった。
動かなくなったヤムスンを前に、
碧はやり場のない感情をぶつけた。

「………ばかやろう………ばかやろうがっ!
 お前はまた俺から逃げるつもりか!腰ぬけめ!
 俺はお前に言いたかったことが、山ほどあるんだそ!
 なのにここでくたばったら、何一つ言えないじゃないかっ!
 くそったれぇぇぇぇぇぇぇっ…!」

 碧は叫んだ。ただただ叫んだ。
その悲しみと怒りのこもった声は、ウグリの夜空に響き渡った。
しかし、空から返ってくるのは、やはり沈黙しかなかった…。
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